2015.10/16 [Fri]
自殺(自死)を本気で考えているあなたに知らせておきたいこと その後
自殺(自死)を本気で考えているあなたに知らせておきたいこと その2
に、幾人かの方から、怒りのコメントいただいています。
死にたいほど辛い状況にある方がお読みになって、
さらに追い込まれる気持ちになったのだと思います。
本当に申し訳なく思います。
ただ、わたしのところには、大切な方を自死で失った方からのご相談も多く、
そういう方の嘆きや悲しみ、苦しみをお聴きしていると、
どんな形でも生きていて欲しいと、自分で命を絶つことだけは止めて欲しいと
心から思います。
それを踏まえた上で、
ここ数年の死後世界とのコミュニケーションから得た事実を
書いてもいい時期に来たのかもしれないと感じたので、書いてみますね。
正直言って、わたしが見てきた限り、
自死した人とそれ以外の方との差異は認められませんでした。
このことは、わたしの経験やデータだけでなく、他の方の体験や著書からも
言えることです。
そして今現在、人様の関係も含め、
ハイアーセルフと言われる存在たちとのコミュニケーションが
頻繁に行える状況になっていますが、彼らからの情報も同じです。
つまり、この世で言われている
「悪いことをしたら罰を与えられる。地獄や苦しみを体験する」
ということは、一切ありません。
どんな死に方をしても、受けれ方に差異はないです。
ただ、亡くなった側の人の信念や思い、自責の念が様々な状態を創り出し導きます。
その中には、地獄と呼ばれているエリアもありますし、
ひとりぼっちの「反省部屋」と言われるエリアもあります。
何度もご紹介していますが、映画「かみさまとのやくそく」の中に、
自死した過去世を持つ少年の言葉が語られています。
彼は、「反省部屋」と言われるところに入っていたそうです。
そこは入れられるのではなく、自分で後悔の念から入るということ。
自分でもういいと思うまで、そこにいること。
さらに、自死した人は次の生にお土産を持たされるそうです。
お土産とは、迷惑をかけた人への恩返しなど人への奉仕活動のようなものだそうです。
この映画で語られていることは、わたし自身が死後の世界で見聞きしたことと
見事に合致していて、映画を観ながら「そうそう!」と何度も声に出しそうになるほどでした。
死後の世界に、審判も罰もありません。
あるのは、自分自身の自責の念や反省だけです。
神がいて、裁きを下すことはないのですが、
そういう意味では、反省を促す「振り返り」の体験があります。
人生を振り返るシーンを走馬灯のように見せられるそうです。
その際、自分だけでなく関わる人達の心情を我がことのように体験するそうです。
つまり、傷つけた人の想いを追体験させられるわけです。
それは、けっこうきついことだと思います。
その段階を経たとき、人は自分の犯してしまった過ちに後悔や自責の念を抱くわけです。
その過程において、どんな形で死を迎えようと変わりはないのですが、
自死をした人は、そこへ行き着く前に、まず自死したことを後悔します。
まず、死によって楽にはなれないことに気づきます。
そのままの意識を持っている自分に唖然とします。
さらに自分自身で、これから苦しませるであろう人に対して、
罪の意識を感じてしまいます。
それらは、強い後悔に繋がります。
「なんてことをしてしまったのだろう」
だ空こそ、自分自ら反省部屋に入ってしまうわけです。
ここには、時間は存在しませんから、
とてつもなく長い時間この中に身を置く者もいます。
ひとつ言えることは、自死は何の解決にもならないということです。
ただ、問題を先送りにしただけ。
あるいは、そのことで更なるカルマを作っただけ。
自死がしてはならない悪いことだとは、
死後の世界の存在たちは、言いません。
でも人として、わたしはそれを「仕方ない」とは言いたくない。
今世で果たせた多くの可能性を絶つことですし、
周りに多大な迷惑をかけることになり、それはカルマに繋がって行きます。
さて、それらのすべてを踏まえて、
やはりわたしは、言いたい
「死ぬ勇気があるなら、死ぬ気で生きてみな!」と。
その試練は乗り越えるためにあるのだから。
自死を考えておいでの方へ
このブログを閉じる前に、ぜひ関連記事を全部読んでみてください。
あなたの知らないことがあるかもしれません。
カテゴリー [自死者(自殺者)とその家族 ]
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そういう方の嘆きや悲しみ、苦しみをお聴きしていると、
どんな形でも生きていて欲しいと、自分で命を絶つことだけは止めて欲しいと
心から思います。
それを踏まえた上で、
ここ数年の死後世界とのコミュニケーションから得た事実を
書いてもいい時期に来たのかもしれないと感じたので、書いてみますね。
正直言って、わたしが見てきた限り、
自死した人とそれ以外の方との差異は認められませんでした。
このことは、わたしの経験やデータだけでなく、他の方の体験や著書からも
言えることです。
そして今現在、人様の関係も含め、
ハイアーセルフと言われる存在たちとのコミュニケーションが
頻繁に行える状況になっていますが、彼らからの情報も同じです。
つまり、この世で言われている
「悪いことをしたら罰を与えられる。地獄や苦しみを体験する」
ということは、一切ありません。
どんな死に方をしても、受けれ方に差異はないです。
ただ、亡くなった側の人の信念や思い、自責の念が様々な状態を創り出し導きます。
その中には、地獄と呼ばれているエリアもありますし、
ひとりぼっちの「反省部屋」と言われるエリアもあります。
何度もご紹介していますが、映画「かみさまとのやくそく」の中に、
自死した過去世を持つ少年の言葉が語られています。
彼は、「反省部屋」と言われるところに入っていたそうです。
そこは入れられるのではなく、自分で後悔の念から入るということ。
自分でもういいと思うまで、そこにいること。
さらに、自死した人は次の生にお土産を持たされるそうです。
お土産とは、迷惑をかけた人への恩返しなど人への奉仕活動のようなものだそうです。
この映画で語られていることは、わたし自身が死後の世界で見聞きしたことと
見事に合致していて、映画を観ながら「そうそう!」と何度も声に出しそうになるほどでした。
死後の世界に、審判も罰もありません。
あるのは、自分自身の自責の念や反省だけです。
神がいて、裁きを下すことはないのですが、
そういう意味では、反省を促す「振り返り」の体験があります。
人生を振り返るシーンを走馬灯のように見せられるそうです。
その際、自分だけでなく関わる人達の心情を我がことのように体験するそうです。
つまり、傷つけた人の想いを追体験させられるわけです。
それは、けっこうきついことだと思います。
その段階を経たとき、人は自分の犯してしまった過ちに後悔や自責の念を抱くわけです。
その過程において、どんな形で死を迎えようと変わりはないのですが、
自死をした人は、そこへ行き着く前に、まず自死したことを後悔します。
まず、死によって楽にはなれないことに気づきます。
そのままの意識を持っている自分に唖然とします。
さらに自分自身で、これから苦しませるであろう人に対して、
罪の意識を感じてしまいます。
それらは、強い後悔に繋がります。
「なんてことをしてしまったのだろう」
だ空こそ、自分自ら反省部屋に入ってしまうわけです。
ここには、時間は存在しませんから、
とてつもなく長い時間この中に身を置く者もいます。
ひとつ言えることは、自死は何の解決にもならないということです。
ただ、問題を先送りにしただけ。
あるいは、そのことで更なるカルマを作っただけ。
自死がしてはならない悪いことだとは、
死後の世界の存在たちは、言いません。
でも人として、わたしはそれを「仕方ない」とは言いたくない。
今世で果たせた多くの可能性を絶つことですし、
周りに多大な迷惑をかけることになり、それはカルマに繋がって行きます。
さて、それらのすべてを踏まえて、
やはりわたしは、言いたい

「死ぬ勇気があるなら、死ぬ気で生きてみな!」と。
その試練は乗り越えるためにあるのだから。

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