2015.06/03 [Wed]
「老い」と「死」に向き合う 1~弱っていく家族にできること~
私たちは、「老い」や「死」を忌み嫌いますが、
スピリチュアル的には、そこにも大きな学びが含まれています。
そして、誰しも触れることのあるテーマです。
当事者と受け留め支える側の両方に学びと気づきをもたらします。
スピリチュアル的には、全く別の側面があるのです。
何回かに分けて少し、書いてみようと思います。

以前のクライアントのAさんから、メールをいただきました。
その状況がわたしにもリンクしていて、他にも同じような状況にいる方が多いだろうと思い、
今回ご了承を得て、メールと共に思うところをブログに書かせていただくことにしました。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
だいぶ以前から闘病中の母が入院しました。
今は、だんだん弱ってゆく母を見舞うのが辛いです。
なんとなく毎日テンションが低いまま過ごしております。
こんな時はどういう心構えで毎日過ごしたらいいんでしょうね?
なるべく考えないようにして、あえて楽しめることしたほうがいいんでしょうか。
なんか罪悪感が先に来てしまい、結局ゴロゴロしちゃいます。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
私事を申し上げれば、家は女子二人だったので、
わたしは次女にもかかわらず、親の後見人をしています。
両親は、ありがたいことに有料老人ホームなるものに入ってくれたので、
日々の世話をすることなく、ありがたい毎日を過ごさせてもらっています。
母の精神的疾患と認知症、そして数年前父を見送った際の葛藤など、
思えばいろいろありました。
いろいろあるのが、親ですよね。
そんなあれこれも、いつか書いてみたいと思いますが、
今日は、わたしと母の状況を綴りながら、いただいたメールへの返信をと思います。
親、特に母親の存在は誰にとっても大きいものです。
そのお母様の弱っていく姿を見るのは辛いものだと思います。
ただ冒頭で申し上げておきたいのは、そんな姿を見せてくれているお母様は、
大切な経験と気づきの機会を与えてくれているということです。
実は、母も昨年の11月に誤嚥性肺炎で入院し、10日余り絶飲食が続き、
退院後もソフト食という流動食に近い形態の食事しか摂ることができず、
結果、入院前より半年で6キロも痩せてしまいました。
心身ともに、弱っていくのを感じます。
まだ、いつどうのという段感覚ではありませんが、
また肺炎になることがあれば、次は…ということも充分に考えられます。
さらに、認知症も入院以来急激に進み、いろいろなことが理解できない状態になりつつあります。
正に、Aさんとわたしの状況は同じなのだと、今書きながら認識しました。
先日、母の見舞いに行きました。
わたしのことも、娘とはっきりわかっているのかどうか?
ちゃんとお返事はしてくれますが、「娘」とはどんな存在なのかを理解できていないようにも感じました。
そんな中で、思い始めているのは、スムーズにあの世に行けるように、
そろそろサポートをしてあげる必要があるのかもしれないということです。
そんなことは、わたしが死後世界と触れていなければ、
あまり意識していなかった思うのです。
でも、たくさんの死後捉われている人たちを見て、
そうならないように、送り出すことの大切さを感じました。
ここからは、Aさんを含め同じような状況の方に向けて書いてみます。
父母、祖父母を含め、家族以外にも衰弱していく人を見守っている方に
お読みいただけたらと思います。
(文中には、衰弱していく親などを「ご本人」と記します)
まず、同じような状況の方は、ぜひ目を背けないで欲しいと思うのです。
ご本人に何をどうしてあげたらよいかわからないことも、
辛さに繋がっているのかもしれません。
でも、今しっかりと向き合わないと、後で後悔する気がします。
向き合うのはだけでなく、ご自身とも向き合う必要もあります。
気を紛らせてやり過ごすのは、得策ではないと思います。
まず、なぜ辛く感じるのかを自分の心に聞きながら、見詰めてください。
感情が湧いてくるということは、そこに意識すべき事柄があるということです。
ご本人のためにも、まずご自身の気持ちを見詰めて欲しいのです。
きっと、なにか浮かんでくることがあると思います。
そして、それさえ気が進まない状態なら、
ぜひ、「ありがとう」と何度も唱えてみてください。
誰に、何にはこだわらなくていいですし、気持ちを無理に込める必要もありません。
強いて言えば、起きている出来事や状況にありがとうと言ってください。
心は、必ず落ち着いてきます。
さあ、自分の心が整理できたところで、ご本人に向き合ってください。
何をすればいいのか?
旅立ちへの準備のお手伝いをしてあげて欲しと思います。
幾つかできることがありますので、具体的に書いてみたいと思います。
人が老いる中で学ぶこと。
それは、ひとつひとつできなくなっていくことへの諦めと受け入れ。
それを助けてあげてください。
もうひとつ、それまで気丈に生きてきた人にとっては、
誰かの世話になることを受け入れること。
それは、今まで築いてきたプライドを傷つけることかもしれません。
それらを受け入れ、お世話をしてくれる人への感謝の念を持つこと。
それらをサポートしてあげてください。
そのためにも、できればそばにいてあげること。
特に何をしなくても良いので、そばにいる時間を取ってあげてください。
他のご家族が看病等で疲れているなら、そのケアにもなりますね。
一緒にいる時間の1分1分が大切な時間になります。
そして、楽しかった思い出や昔の話をしてあげてください。
自分の記憶がしっかり生きていることをご本人は確認できるでしょう。
はやり嬉しいと思います。
もし、ご本人が会話をするのが難しい状態でも、
聞いている前提で話をしてあげて欲しいと思います。
見送りのセレモニーになります。
それから、大切なことは心配しないこと。
心配しても良いことは何もありません。
それより、少しでも気持ちよく日々を過ごせるように配慮してあげてください。
ひとつ、知っておいて欲しいことがあります。
ご本人は、向こうの世界に行っても私たちに会いに来ることができます。
もし、そのことを両方が理解できていたら、死は恐いものではなくなると思います。
それを伝えるのは難しいことかもしれませんが、
それとなく心配がないことを伝えてあげて欲しいと思います。
数年前、父を見送る際に、もうほとんど会話ができなくなっていましたが、
落ち着いているときを見計らって、父の目をじっと見つめながら、語りかけました。
死後の世界があること、向こうに行ってもコミュニケーションできること、
そして、光が視えたらそちらに行けばいいことを伝えました。
父は黙っていましたが、瞳の奥で聞いていてくれたように感じました。
そして、今は死後世界で時々コミュニケーションを取ることができるようになっています。
また、旅立つタイミングは、その人自身が決めるのが望ましいことです。
引き留めることも、旅立つことを促すことも、どちらも好ましくありません。
私たち見送る側にできるのは、ご本人の意思を尊重し、ただ静かに見守ることだけです。
そして、これは言葉にして伝えなくてもいいので、ご本人への感謝の気持ちを伝えてください。
心の中で、対話するだけでも良いと思います。
そんなふうに少し時間を取ってやれることをしっかりやって、
それ以外の時間は気持ちを切り替えて楽しく日常を送ってください。
だって、向こうの世界では戻ってくる魂たちをこちらの誕生と同じように
賑やかに迎えるのですから。
老いてから逝くことは、喜ばしいこととも言えます。
さらに残された者には、その後の人生が否応なく続いて行きます。
立ち去るものに捉われていては、前に進むことはできません。
自分の人生の時計は止まることなくネジを巻いてくださいね。
と、思いつくままに書いていたら、ガイドの声が入って来ました。
「あなたとこの方の状況は、まったく同じです。
Aさんに書いていることは、そのままあなたにも当てはまります。
あなたへの言葉をこのブログを書くことで、伝えています」
どちらの親も今すぐにどうという状態ではありません。
それにもかかわらず、最後に向けての記事を書かされているということは、
これくらいの時期から、その準備に入る必要があるということなのでしょう。
それを改めて意識しました。
最後まで、お読みいただきありがとうございます。
一般的な状態を想定して書いていますので、当てはまらになと感じる方もいらっしゃると思います。
そういう方は、カウンセリングも行っていますので、
個人的にご相談いただければ、サポートできると思います。
カウンセリング&セラピー
心理カウンセリングとスピリチュアル瞑想を組み合わせ、
スピリチュアルな叡智を基に、問題解決のお手伝いをします。
また、電話でのカウンセリングも行っています。
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こちらは、匿名でも受け付けています。お気軽にどうぞ!
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スピリチュアル的には、そこにも大きな学びが含まれています。
そして、誰しも触れることのあるテーマです。
当事者と受け留め支える側の両方に学びと気づきをもたらします。
スピリチュアル的には、全く別の側面があるのです。
何回かに分けて少し、書いてみようと思います。
















以前のクライアントのAさんから、メールをいただきました。
その状況がわたしにもリンクしていて、他にも同じような状況にいる方が多いだろうと思い、
今回ご了承を得て、メールと共に思うところをブログに書かせていただくことにしました。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
だいぶ以前から闘病中の母が入院しました。
今は、だんだん弱ってゆく母を見舞うのが辛いです。
なんとなく毎日テンションが低いまま過ごしております。
こんな時はどういう心構えで毎日過ごしたらいいんでしょうね?
なるべく考えないようにして、あえて楽しめることしたほうがいいんでしょうか。
なんか罪悪感が先に来てしまい、結局ゴロゴロしちゃいます。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
私事を申し上げれば、家は女子二人だったので、
わたしは次女にもかかわらず、親の後見人をしています。
両親は、ありがたいことに有料老人ホームなるものに入ってくれたので、
日々の世話をすることなく、ありがたい毎日を過ごさせてもらっています。
母の精神的疾患と認知症、そして数年前父を見送った際の葛藤など、
思えばいろいろありました。
いろいろあるのが、親ですよね。
そんなあれこれも、いつか書いてみたいと思いますが、
今日は、わたしと母の状況を綴りながら、いただいたメールへの返信をと思います。
親、特に母親の存在は誰にとっても大きいものです。
そのお母様の弱っていく姿を見るのは辛いものだと思います。
ただ冒頭で申し上げておきたいのは、そんな姿を見せてくれているお母様は、
大切な経験と気づきの機会を与えてくれているということです。
実は、母も昨年の11月に誤嚥性肺炎で入院し、10日余り絶飲食が続き、
退院後もソフト食という流動食に近い形態の食事しか摂ることができず、
結果、入院前より半年で6キロも痩せてしまいました。
心身ともに、弱っていくのを感じます。
まだ、いつどうのという段感覚ではありませんが、
また肺炎になることがあれば、次は…ということも充分に考えられます。
さらに、認知症も入院以来急激に進み、いろいろなことが理解できない状態になりつつあります。
正に、Aさんとわたしの状況は同じなのだと、今書きながら認識しました。
先日、母の見舞いに行きました。
わたしのことも、娘とはっきりわかっているのかどうか?
ちゃんとお返事はしてくれますが、「娘」とはどんな存在なのかを理解できていないようにも感じました。
そんな中で、思い始めているのは、スムーズにあの世に行けるように、
そろそろサポートをしてあげる必要があるのかもしれないということです。
そんなことは、わたしが死後世界と触れていなければ、
あまり意識していなかった思うのです。
でも、たくさんの死後捉われている人たちを見て、
そうならないように、送り出すことの大切さを感じました。
ここからは、Aさんを含め同じような状況の方に向けて書いてみます。
父母、祖父母を含め、家族以外にも衰弱していく人を見守っている方に
お読みいただけたらと思います。
(文中には、衰弱していく親などを「ご本人」と記します)
まず、同じような状況の方は、ぜひ目を背けないで欲しいと思うのです。
ご本人に何をどうしてあげたらよいかわからないことも、
辛さに繋がっているのかもしれません。
でも、今しっかりと向き合わないと、後で後悔する気がします。
向き合うのはだけでなく、ご自身とも向き合う必要もあります。
気を紛らせてやり過ごすのは、得策ではないと思います。
まず、なぜ辛く感じるのかを自分の心に聞きながら、見詰めてください。
感情が湧いてくるということは、そこに意識すべき事柄があるということです。
ご本人のためにも、まずご自身の気持ちを見詰めて欲しいのです。
きっと、なにか浮かんでくることがあると思います。
そして、それさえ気が進まない状態なら、
ぜひ、「ありがとう」と何度も唱えてみてください。
誰に、何にはこだわらなくていいですし、気持ちを無理に込める必要もありません。
強いて言えば、起きている出来事や状況にありがとうと言ってください。
心は、必ず落ち着いてきます。
さあ、自分の心が整理できたところで、ご本人に向き合ってください。
何をすればいいのか?
旅立ちへの準備のお手伝いをしてあげて欲しと思います。
幾つかできることがありますので、具体的に書いてみたいと思います。
人が老いる中で学ぶこと。
それは、ひとつひとつできなくなっていくことへの諦めと受け入れ。
それを助けてあげてください。
もうひとつ、それまで気丈に生きてきた人にとっては、
誰かの世話になることを受け入れること。
それは、今まで築いてきたプライドを傷つけることかもしれません。
それらを受け入れ、お世話をしてくれる人への感謝の念を持つこと。
それらをサポートしてあげてください。
そのためにも、できればそばにいてあげること。
特に何をしなくても良いので、そばにいる時間を取ってあげてください。
他のご家族が看病等で疲れているなら、そのケアにもなりますね。
一緒にいる時間の1分1分が大切な時間になります。
そして、楽しかった思い出や昔の話をしてあげてください。
自分の記憶がしっかり生きていることをご本人は確認できるでしょう。
はやり嬉しいと思います。
もし、ご本人が会話をするのが難しい状態でも、
聞いている前提で話をしてあげて欲しいと思います。
見送りのセレモニーになります。
それから、大切なことは心配しないこと。
心配しても良いことは何もありません。
それより、少しでも気持ちよく日々を過ごせるように配慮してあげてください。
ひとつ、知っておいて欲しいことがあります。
ご本人は、向こうの世界に行っても私たちに会いに来ることができます。
もし、そのことを両方が理解できていたら、死は恐いものではなくなると思います。
それを伝えるのは難しいことかもしれませんが、
それとなく心配がないことを伝えてあげて欲しいと思います。
数年前、父を見送る際に、もうほとんど会話ができなくなっていましたが、
落ち着いているときを見計らって、父の目をじっと見つめながら、語りかけました。
死後の世界があること、向こうに行ってもコミュニケーションできること、
そして、光が視えたらそちらに行けばいいことを伝えました。
父は黙っていましたが、瞳の奥で聞いていてくれたように感じました。
そして、今は死後世界で時々コミュニケーションを取ることができるようになっています。
また、旅立つタイミングは、その人自身が決めるのが望ましいことです。
引き留めることも、旅立つことを促すことも、どちらも好ましくありません。
私たち見送る側にできるのは、ご本人の意思を尊重し、ただ静かに見守ることだけです。
そして、これは言葉にして伝えなくてもいいので、ご本人への感謝の気持ちを伝えてください。
心の中で、対話するだけでも良いと思います。
そんなふうに少し時間を取ってやれることをしっかりやって、
それ以外の時間は気持ちを切り替えて楽しく日常を送ってください。
だって、向こうの世界では戻ってくる魂たちをこちらの誕生と同じように
賑やかに迎えるのですから。
老いてから逝くことは、喜ばしいこととも言えます。
さらに残された者には、その後の人生が否応なく続いて行きます。
立ち去るものに捉われていては、前に進むことはできません。
自分の人生の時計は止まることなくネジを巻いてくださいね。
と、思いつくままに書いていたら、ガイドの声が入って来ました。
「あなたとこの方の状況は、まったく同じです。
Aさんに書いていることは、そのままあなたにも当てはまります。
あなたへの言葉をこのブログを書くことで、伝えています」
どちらの親も今すぐにどうという状態ではありません。
それにもかかわらず、最後に向けての記事を書かされているということは、
これくらいの時期から、その準備に入る必要があるということなのでしょう。
それを改めて意識しました。
最後まで、お読みいただきありがとうございます。
一般的な状態を想定して書いていますので、当てはまらになと感じる方もいらっしゃると思います。
そういう方は、カウンセリングも行っていますので、
個人的にご相談いただければ、サポートできると思います。

心理カウンセリングとスピリチュアル瞑想を組み合わせ、
スピリチュアルな叡智を基に、問題解決のお手伝いをします。
また、電話でのカウンセリングも行っています。

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今日も、ご訪問ありがとうございます






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Re: はじめまして
コメントありがとうございます。
死を見つめる事で初めて「生きる」事も見つめられる
とても、素晴らしい言葉です。
死後の本当の状態を知れば、生きる意味も変わって来るのではないかと思います。
わたしの知っていることが、当たり前の世の中が来ることが夢です。
そこに向けてがんばって行こうと思います。