2014.01/22 [Wed]
すべての出来事には、良い悪いがない
「すべての出来事には、良い悪いがない。
良い悪いを決めているのは、私たち自身」
これは、よくカウンセリングで、クライアントさんにお伝えする言葉です。
事故、リストラ、失恋、大切な人の死
どれも普通の常識では、悪いことと思うのが当たり前です。
でも、それは私たちの幻想だったのです。
何を言っているの?と、思わずに少しお付き合いください。
なんと
向こうの世界、意識の世界には、
良い悪いの価値判断自体が存在しないのです。
それを初めて知ったとき、わたしも信じ難くて大きく戸惑いました。
何かのことについて、何気なくいつもの調子で問いかけました。
「これは、良いことですよね」と。
返ってきたのは、ポカンとした波動でした。
無理に言葉にするれば、
「あなた何を言っているの?」そんな感じでした。
その頃、既にたくさんのスピリチュアル系の本は読んでいました。
ですから、出来事に良い悪いの判断がないことは、
知識として知ってはいました。
でも、そのポカンとした波動は、
「何?それ?」とも、訳せる感覚でした。
つまりその存在には、良い悪いという感覚が理解できない、そんな感じでした。
つまり、彼らは善悪の概念を持っていなかったのです。
これは、わたしにとって少なからず衝撃でした。
そして、その後はっきりと理解しました。
良いとか悪いとか、その価値判断を下していたのは、私たち人間だったと。
そして、それはもしかしたら、
人間だけに通用する価値基準なのものかもしれないと。
たとえば、人を殺すという究極の行為さえ、
あなたは悪だと思うでしょうが、
戦争のときは、敵をたくさん殺せば英雄です。
また、正当防衛なら良しとされます。
私たちの価値基準は、ときと場合によって変わります。
また、国や地域、家庭や学校、会社の理念、宗教や思想によっても、
様々に変容します。
つまり、あなたの正義が、隣の家では通用しないかもしれない。
そんなあやふやな価値観、あやふやな正義に基づいて、
わたしたちは生きていたのです。
わたしも、以前は正義を重んじる人間でした。
向こうの存在たちと関わるうちに、その危うさに
頭ではなく、意識の深い部分で気づかせてもらいました。
罪を犯したものを裁くことも憎むことも、本当は必要のないこと。
それは悲しくつらいことではありますが、その先に光を見出すことはできる。
そして、それは大いなる意識の進化に繋がることを
いくつかの事例を元に教えられました。
そして、もうひとつわかったことがあります。
よく宗教で耳にする言葉。
「大いなる存在グレートスピリット、あるいは神?がいて、
彼らは、私たち人間の幸せを願っている」
でもそれを耳にすると、いつも湧いてくる違和感がありました。
なぜ、彼は荒廃した地球を救ってくれないのか?
悪なるものの支配を許し、善なるものが苦しむのを見ても、
なぜ、何もしてはくれないのか?
向こうの存在たちとコミュニケーションする中で、
彼らが善悪の指標を持たないことを知り、その答えがわかったのです。
大いなる存在グレートスピリット、あるいは神も、
善悪の価値基準を持っていないのだと。
つまり、地球を善なる星にしようとは考えていない。
彼は、すべての人ものを平等に、ただ愛するだけ。
その愛に差別はなく、太陽の光のように平等で、
また、私たちに何かを望むことさえしていない。
私たちの想う善も悪もすべてを、ただ許し受け入れてくれている。
そういう存在なのだと気づいたのです。
それが、『純粋な無条件の愛』です。
そう想うと、何の問題もなくすべての辻褄が合います。
彼は、楽しみにしているのではないでしょうか。
いつか人間たちの創りだした善悪の価値判断が、
本当は必要のないものだと、多くのもの達が気づくときが来ることを。
今日も、ご訪問ありがとうございます
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良い悪いを決めているのは、私たち自身」
これは、よくカウンセリングで、クライアントさんにお伝えする言葉です。
事故、リストラ、失恋、大切な人の死
どれも普通の常識では、悪いことと思うのが当たり前です。
でも、それは私たちの幻想だったのです。
何を言っているの?と、思わずに少しお付き合いください。
なんと

向こうの世界、意識の世界には、
良い悪いの価値判断自体が存在しないのです。
それを初めて知ったとき、わたしも信じ難くて大きく戸惑いました。
何かのことについて、何気なくいつもの調子で問いかけました。
「これは、良いことですよね」と。
返ってきたのは、ポカンとした波動でした。
無理に言葉にするれば、
「あなた何を言っているの?」そんな感じでした。
その頃、既にたくさんのスピリチュアル系の本は読んでいました。
ですから、出来事に良い悪いの判断がないことは、
知識として知ってはいました。
でも、そのポカンとした波動は、
「何?それ?」とも、訳せる感覚でした。
つまりその存在には、良い悪いという感覚が理解できない、そんな感じでした。
つまり、彼らは善悪の概念を持っていなかったのです。
これは、わたしにとって少なからず衝撃でした。
そして、その後はっきりと理解しました。
良いとか悪いとか、その価値判断を下していたのは、私たち人間だったと。
そして、それはもしかしたら、
人間だけに通用する価値基準なのものかもしれないと。
たとえば、人を殺すという究極の行為さえ、
あなたは悪だと思うでしょうが、
戦争のときは、敵をたくさん殺せば英雄です。
また、正当防衛なら良しとされます。
私たちの価値基準は、ときと場合によって変わります。
また、国や地域、家庭や学校、会社の理念、宗教や思想によっても、
様々に変容します。
つまり、あなたの正義が、隣の家では通用しないかもしれない。
そんなあやふやな価値観、あやふやな正義に基づいて、
わたしたちは生きていたのです。
わたしも、以前は正義を重んじる人間でした。
向こうの存在たちと関わるうちに、その危うさに
頭ではなく、意識の深い部分で気づかせてもらいました。
罪を犯したものを裁くことも憎むことも、本当は必要のないこと。
それは悲しくつらいことではありますが、その先に光を見出すことはできる。
そして、それは大いなる意識の進化に繋がることを
いくつかの事例を元に教えられました。
そして、もうひとつわかったことがあります。
よく宗教で耳にする言葉。
「大いなる存在グレートスピリット、あるいは神?がいて、
彼らは、私たち人間の幸せを願っている」
でもそれを耳にすると、いつも湧いてくる違和感がありました。
なぜ、彼は荒廃した地球を救ってくれないのか?
悪なるものの支配を許し、善なるものが苦しむのを見ても、
なぜ、何もしてはくれないのか?
向こうの存在たちとコミュニケーションする中で、
彼らが善悪の指標を持たないことを知り、その答えがわかったのです。
大いなる存在グレートスピリット、あるいは神も、
善悪の価値基準を持っていないのだと。
つまり、地球を善なる星にしようとは考えていない。
彼は、すべての人ものを平等に、ただ愛するだけ。
その愛に差別はなく、太陽の光のように平等で、
また、私たちに何かを望むことさえしていない。
私たちの想う善も悪もすべてを、ただ許し受け入れてくれている。
そういう存在なのだと気づいたのです。
それが、『純粋な無条件の愛』です。
そう想うと、何の問題もなくすべての辻褄が合います。
彼は、楽しみにしているのではないでしょうか。
いつか人間たちの創りだした善悪の価値判断が、
本当は必要のないものだと、多くのもの達が気づくときが来ることを。
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