2012.10/14 [Sun]
信念体系エリア、「崇拝の世界」もうひとつのリトリーバル つづき
関連記事をまた見つけちゃったので、書いてみます。
ブルース・モーエンとの対談本が10月に発売予定の
松村潔氏の本を読んでいて発見しました
本の一部の抜粋から P83~
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
幽体離脱すると、肉体の時間感覚からは自由になるので、さまざまな異なる領域の体験をすることができる。自分イメージというものに頑固でなければ、違う時間サイクルの意識に同調する。
わたしはある時、自分が砂漠の地で、多くの人に崇拝される何者かになりきってしまった体験をした。目の前に無数の人々がいて、彼らはみな跪いて、わたしを礼拝していた、このときの意識というのは、人としての視点でなく、この大量の人々の集団意識全体を、過去から未来まで見通すようなヴィジョンを得ていた。人ひとりはドットのひとつだった。人ひとりがどうなるかは眼中になかった。集団意識があたかも一人の人間のように見えた。
でも、これはそこにわたしが同化したから、「その目で見ていた」わけであって、それがわたしだったのだという意味ではない。・・・
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
これは、前に書いたワークショップの参加者のリトリーバル体験と
非常にリンクしている気がします。
信念体系エリア、「崇拝の世界」もうひとつのリトリーバル
この体験の中でのリトリーバル対象者は
信念体系エリア、あるいはフォーカス23という囚われのエリアにいて、
「永遠に崇拝されたいという思い」から抜け出せずにいたことがうかがえます。
そして、松村氏の幽体離脱での体験は、
その崇拝の対象者が生きていた頃の様子かもしれない。
彼を取り囲む人々が祈るエネルギーは集団意識となリ、
それが崇拝の対象者に注がれているように感じます。
これは、その前に書いたわたしのリトリーバル体験
信念体系エリア、「崇拝の世界」のリトリーバル?体験
とも、リンクしている気がします。
少し残念だったのは、松村氏の幽体離脱体験の際、
彼の同伴者としてガイドやヘルパーがいなかったこと。
いればきっと、彼らからの解説があっただろうと思うのです。
ひとつの場面を“見る”ことは、もちろん大切でしょうが、
さらにそこにある意味や人の意識にもフォーカスすると
より深い理解を得られます。
そして、それは少ながらず、自分自身の気づきへと続いていきます。
それらを手助けしてくれるのが、ヘルパーやガイドたちです。
でも彼らは、大概「これはどういうこと?」と
訪ねないと教えてくれません。
おせっかいはしないんです!
辛抱強く、気付いてくれるのを待っています。
なぜ、そのシーンを見せられたのか?
考えてみたり、尋ねてみたりすることは、
理解を数倍にも、深めてくれる大切なことです。
この本を読んでいて、そんなことを
松村氏と話してみたいな~と思った次第です。
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ブルース・モーエンとの対談本が10月に発売予定の
松村潔氏の本を読んでいて発見しました

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本の一部の抜粋から P83~
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幽体離脱すると、肉体の時間感覚からは自由になるので、さまざまな異なる領域の体験をすることができる。自分イメージというものに頑固でなければ、違う時間サイクルの意識に同調する。
わたしはある時、自分が砂漠の地で、多くの人に崇拝される何者かになりきってしまった体験をした。目の前に無数の人々がいて、彼らはみな跪いて、わたしを礼拝していた、このときの意識というのは、人としての視点でなく、この大量の人々の集団意識全体を、過去から未来まで見通すようなヴィジョンを得ていた。人ひとりはドットのひとつだった。人ひとりがどうなるかは眼中になかった。集団意識があたかも一人の人間のように見えた。
でも、これはそこにわたしが同化したから、「その目で見ていた」わけであって、それがわたしだったのだという意味ではない。・・・
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これは、前に書いたワークショップの参加者のリトリーバル体験と
非常にリンクしている気がします。
信念体系エリア、「崇拝の世界」もうひとつのリトリーバル
この体験の中でのリトリーバル対象者は
信念体系エリア、あるいはフォーカス23という囚われのエリアにいて、
「永遠に崇拝されたいという思い」から抜け出せずにいたことがうかがえます。
そして、松村氏の幽体離脱での体験は、
その崇拝の対象者が生きていた頃の様子かもしれない。
彼を取り囲む人々が祈るエネルギーは集団意識となリ、
それが崇拝の対象者に注がれているように感じます。
これは、その前に書いたわたしのリトリーバル体験
信念体系エリア、「崇拝の世界」のリトリーバル?体験
とも、リンクしている気がします。
少し残念だったのは、松村氏の幽体離脱体験の際、
彼の同伴者としてガイドやヘルパーがいなかったこと。
いればきっと、彼らからの解説があっただろうと思うのです。
ひとつの場面を“見る”ことは、もちろん大切でしょうが、
さらにそこにある意味や人の意識にもフォーカスすると
より深い理解を得られます。
そして、それは少ながらず、自分自身の気づきへと続いていきます。
それらを手助けしてくれるのが、ヘルパーやガイドたちです。
でも彼らは、大概「これはどういうこと?」と
訪ねないと教えてくれません。
おせっかいはしないんです!
辛抱強く、気付いてくれるのを待っています。
なぜ、そのシーンを見せられたのか?
考えてみたり、尋ねてみたりすることは、
理解を数倍にも、深めてくれる大切なことです。
この本を読んでいて、そんなことを
松村氏と話してみたいな~と思った次第です。
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