2012.07/08 [Sun]
信念体系エリア、「崇拝の世界」のリトリーバル?体験
先日行った懇親会での、興味深い体験を公開してみようと思います。
ブルース・モーエンの「死後探索マニュアル」のCD、
<信念体系領域の救出エクササイズ>をかけながら行いました。
今回は、パートナー探索や同じテーマを設けてはいなかったので、
皆それぞれの体験でした。
今回は、わたしの体験のレポートをお届けします。
「信念体系エリアのリトリーバル」
実施:2012.6.14(木)15:05~(約40分 マニュアルのCDにて)
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
いつものように、ガイドの1人、
いや一匹?の龍神の背中に乗せてもらって移動する。
まず見えてきたのは、金ぴかの衣装を着けた男性。
衣装は、中国風にも、仏教風にも、また洋風にも見え、
男性も、顔がはっきりせず国籍がつかめない。
男性は、一段高くなった雛段の豪華な椅子に座っており、
その周りにも、数名の人が控えている。
皆、それなりに高価そうな衣装を身に着けている。
そして、彼らに向かい合うように、一段下がったところに
たくさんの、かなり多数の人が並んでいるのを感じる。
しかし、彼らはグレーのシルエットとしてしか捉えられない。
わたしの知覚、特に視覚能力の不足のせいかと思い、
もっとよく見えるようにガイドたちにお願いし、非物質な眼を凝らしてみる。
これはどういうことだろうか?
そう思い、きらびやかな男性のほうに目をやると、こっちはきらきらに見える。
彼は誰なのだろうかと意識を探る。
宗教団体の教祖さま?あるいは高僧?
もう一度顔を見るが、やはり何かフードのようなものを被っているようで、
はっきりと見えない。
しかし、ふっくらした穏やかな波長が伝わってくる。
悪徳教祖さまではないようだ。
そしてしばらく見詰めていると、
何も語りはしないが、困っているのがわかる。
この状況にどうしたらよいかと思案しているような。
しかし皆を導く立場として、それを悟られてはならないという事情もあるようだ。
グレーの人々にもう一度視線を移すと、
どうも彼らは、この世の者たちだと言う気がしてくる。
彼らは、きらびやかな男性を崇拝し、頼り、祈りを捧げているらしい。
それによって、ここと繋がり、その祈りのエネルギーが、ここへと届く。
そのエネルギーが強いほど、男性の衣装はきらびやかさを増していく。
しかし、素晴らしい人を崇拝し、拝み、祈りを捧げることは、
良くないことなのか?
キリスト、マリア、釈迦、仏教の教祖・・・
ほとんどの宗教でも、そうすることを教え勧めているではないか?
そんな疑問が、湧き上がり誰ともなしに問いかける。
すると、姿なき存在から言葉だけが解説のように入ってきた。
「教祖、神、救世主などと人々は彼らのことを呼びます。
しかし、彼らも生前は人として生きていたのです。そして、崇拝者は人としての彼らをイメージして祈りを捧げます。
それは、身体から離れた彼らにとっては、ときに重荷になることもあるのです。
信者たちは、祈ることで彼らに助けを求めます。しかし、彼らとて、人の望みを叶えるための力を持っているわけではなく、また、そうすることが人々のためになるとも思っていません。
人々が願いを叶えてもらいたい、救ってもらいたいと彼らに祈ることは、このエリアに彼らの意識の一部を留めてしまうことになるのです」
エー!驚きの気持ちを覚える。
だって、キリスト教の人は皆、キリストに祈りを捧げ、救いを求めているではないか!
そうすると、キリストのこういうエリアもあるということ?
「その通りです。誰かにすがることで、自分の人生を良きものにしてもらおうと祈るのは、好ましきことではありません。なぜかと言うと、人々のイメージしている彼らは、本来の彼らのエネルギー体とはかなり差異があるからです。
その差が、彼らのエネルギーとは違う擬似的な意識体を生み出してしまうのです。
キリストにしても、皆さんが認識している姿とは、今はまったく違っていますから・・・」
それなら、どうすればいいのだろうか?
リトリーバルはできるのだろうか?
「残念ながら、あなたにできることではありません。
彼らの本体は別の次元にあって、もちろんリトリーバルの必要はありません。
ここは仮想世界、つまりはこの世の人々が創り出したバーチャルな世界なのです。
そして、本体の彼らもここの存在は認識していますし、意識の一部は繋がっています」
だから、困ったような波長を感じたんだ!
わたしを信じるなとも、崇拝するなとも言えないし、
ここで言ったところで、こちらの人々にはなかなか届かないだろうし。
ただ、黙ってそこに座っていることしかできないのかもしれない。
それにしても、この世界はあっていのだろうか?
何か、リトリーバルの方法があるのだろうか?
そんなことをあれこれと思案していると、声は呼応してくれた。
「あなたたちの世界の人々の意識が変わることしか、この世界を消し去ることはできません。
人が生きるということは、本来どういうことなのかを知る必要があります。
あなたたちの多くが、そのことをよく理解していませんから」
生きるということは、どういうことだと言いたいのだろうか?
他力本願でなく、自分の人生を責任を持って歩むということだろうか?
それには直接的に答えることなく、声の主は、
「崇拝は、真に人生を豊かにはしてくれません」
間接的なメッセージだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
と、ここまで聞いたところで、CDが終わり時間切れ。
なんとも、難しい、
そしてリトリーバルにならないリトリーバルエクササイズでした。
そして、この体験記を書いて、お風呂に入っていたら、
続きのメッセージらしき言葉が入ってきました。
長くなったので、それについては次回に回しましょう。
今日も、ご訪問ありがとうございます
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ブルース・モーエンの「死後探索マニュアル」のCD、
<信念体系領域の救出エクササイズ>をかけながら行いました。
今回は、パートナー探索や同じテーマを設けてはいなかったので、
皆それぞれの体験でした。
今回は、わたしの体験のレポートをお届けします。
「信念体系エリアのリトリーバル」
実施:2012.6.14(木)15:05~(約40分 マニュアルのCDにて)
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
いつものように、ガイドの1人、
いや一匹?の龍神の背中に乗せてもらって移動する。
まず見えてきたのは、金ぴかの衣装を着けた男性。
衣装は、中国風にも、仏教風にも、また洋風にも見え、
男性も、顔がはっきりせず国籍がつかめない。
男性は、一段高くなった雛段の豪華な椅子に座っており、
その周りにも、数名の人が控えている。
皆、それなりに高価そうな衣装を身に着けている。
そして、彼らに向かい合うように、一段下がったところに
たくさんの、かなり多数の人が並んでいるのを感じる。
しかし、彼らはグレーのシルエットとしてしか捉えられない。
わたしの知覚、特に視覚能力の不足のせいかと思い、
もっとよく見えるようにガイドたちにお願いし、非物質な眼を凝らしてみる。
これはどういうことだろうか?
そう思い、きらびやかな男性のほうに目をやると、こっちはきらきらに見える。
彼は誰なのだろうかと意識を探る。
宗教団体の教祖さま?あるいは高僧?
もう一度顔を見るが、やはり何かフードのようなものを被っているようで、
はっきりと見えない。
しかし、ふっくらした穏やかな波長が伝わってくる。
悪徳教祖さまではないようだ。
そしてしばらく見詰めていると、
何も語りはしないが、困っているのがわかる。
この状況にどうしたらよいかと思案しているような。
しかし皆を導く立場として、それを悟られてはならないという事情もあるようだ。
グレーの人々にもう一度視線を移すと、
どうも彼らは、この世の者たちだと言う気がしてくる。
彼らは、きらびやかな男性を崇拝し、頼り、祈りを捧げているらしい。
それによって、ここと繋がり、その祈りのエネルギーが、ここへと届く。
そのエネルギーが強いほど、男性の衣装はきらびやかさを増していく。
しかし、素晴らしい人を崇拝し、拝み、祈りを捧げることは、
良くないことなのか?
キリスト、マリア、釈迦、仏教の教祖・・・
ほとんどの宗教でも、そうすることを教え勧めているではないか?
そんな疑問が、湧き上がり誰ともなしに問いかける。
すると、姿なき存在から言葉だけが解説のように入ってきた。
「教祖、神、救世主などと人々は彼らのことを呼びます。
しかし、彼らも生前は人として生きていたのです。そして、崇拝者は人としての彼らをイメージして祈りを捧げます。
それは、身体から離れた彼らにとっては、ときに重荷になることもあるのです。
信者たちは、祈ることで彼らに助けを求めます。しかし、彼らとて、人の望みを叶えるための力を持っているわけではなく、また、そうすることが人々のためになるとも思っていません。
人々が願いを叶えてもらいたい、救ってもらいたいと彼らに祈ることは、このエリアに彼らの意識の一部を留めてしまうことになるのです」
エー!驚きの気持ちを覚える。
だって、キリスト教の人は皆、キリストに祈りを捧げ、救いを求めているではないか!
そうすると、キリストのこういうエリアもあるということ?
「その通りです。誰かにすがることで、自分の人生を良きものにしてもらおうと祈るのは、好ましきことではありません。なぜかと言うと、人々のイメージしている彼らは、本来の彼らのエネルギー体とはかなり差異があるからです。
その差が、彼らのエネルギーとは違う擬似的な意識体を生み出してしまうのです。
キリストにしても、皆さんが認識している姿とは、今はまったく違っていますから・・・」
それなら、どうすればいいのだろうか?
リトリーバルはできるのだろうか?
「残念ながら、あなたにできることではありません。
彼らの本体は別の次元にあって、もちろんリトリーバルの必要はありません。
ここは仮想世界、つまりはこの世の人々が創り出したバーチャルな世界なのです。
そして、本体の彼らもここの存在は認識していますし、意識の一部は繋がっています」
だから、困ったような波長を感じたんだ!
わたしを信じるなとも、崇拝するなとも言えないし、
ここで言ったところで、こちらの人々にはなかなか届かないだろうし。
ただ、黙ってそこに座っていることしかできないのかもしれない。
それにしても、この世界はあっていのだろうか?
何か、リトリーバルの方法があるのだろうか?
そんなことをあれこれと思案していると、声は呼応してくれた。
「あなたたちの世界の人々の意識が変わることしか、この世界を消し去ることはできません。
人が生きるということは、本来どういうことなのかを知る必要があります。
あなたたちの多くが、そのことをよく理解していませんから」
生きるということは、どういうことだと言いたいのだろうか?
他力本願でなく、自分の人生を責任を持って歩むということだろうか?
それには直接的に答えることなく、声の主は、
「崇拝は、真に人生を豊かにはしてくれません」
間接的なメッセージだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
と、ここまで聞いたところで、CDが終わり時間切れ。
なんとも、難しい、
そしてリトリーバルにならないリトリーバルエクササイズでした。
そして、この体験記を書いて、お風呂に入っていたら、
続きのメッセージらしき言葉が入ってきました。
長くなったので、それについては次回に回しましょう。
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Re2: 私の今世での課題に付いて。
返信を書いてたらどんどん長くなり、さらにこれは他の人にもぜひ読んで欲しいと思い、
ブログの記事に書かせていただくことにしました。
コメントの概要を簡単に書き、その返事として書きました。
事後承諾で恐縮ですが、ご理解ください。
心を込めて書いたつもりです。
少しでも、お力になれていたらよいのですが。
こちらからお読みくださいね。
http://happyspiritualworld.blog119.fc2.com/blog-entry-437.html
応援しています。
また何かあれば、ご連絡ください。