2011.08/26 [Fri]
「無縁社会」読みました!
スピリチュアル系の本ではありませんが、
ちょっと衝撃の内容だったので書いてみようと思います。
NHKスペシャル「無縁社会~“無縁死”3万2千人の衝撃~」
(2010年1月31日放送)
この取材班によって書かれた書籍だ。
はっきり言ってけっこう重たい内容だった
日本の年間自殺者が、3万人だそうだが、
無縁死も、なんと3万2千人もいるそうだ
警察や自治体でも身元がつかめなかった無縁死の人は、
「行旅死亡人」という分類をされ、官報で公告されるそうだが、
そこに載るのは、わずか数行のみ。
それを読んで、知っている人だと気付くのはまず無理だろう。
だいたい、そんなもの実際に見たこともないし、見ようとも思わない。
つまり、この人たちは自分が誰かを知られずに亡くなった人ということ。
「行旅病人および行旅死亡人取扱法」には、
「住所、居所、もしくは氏名が知れず、かつ(遺体の)引き取り者なき死亡人は、行旅死亡人とみなす」と書かれている。
彼らの多くは、自分であることを自ら絶った人ということができる。
ホームレスをしている人の中にも、そういう人っているのだろう。
「ラジオだけが、友達」 と語るあるホームレスの男性は、
派遣切りで職を失い、路上生活をしながら仕事を探し続ける。
彼は、語る。
「もうこれ以上、自分のことで誰かに迷惑をかけたくない」
だから、生活保護も拒否する。
ある意味、善良でまともな神経を持った人間とも言えるかもしれない。
でも、よく考えてみて欲しい。
人は、もともとひとりで生きて行くために生まれて来るのだろうか?
スピリチュアルで言えば、
人との関わりから、自分自身を知り、
心の触れ合いから、愛を知り育むことを学ぶ。
それなら、迷惑を掛けずに人と関わりあわない人生は、
実り少ない人生の選択と言えるのではないだろうか。
迷惑はかけてもよいのではないだろうか?
その分、自分がしてあげられるようになったら、誰かに返せばいいし、
ならなくても、そのとき感謝の気持ちはお返しできる。
それで、いいと、こころから思う。
目に目なくても、エネルギーはちゃんと回っているのだから。
若い人にも、無縁死の恐怖を抱える人たちがいるという。
また、身寄りから受け取りを拒否される遺体も多いという。
遺体は、屍(しかばね)でしかない。
魂は永遠で、本当の意識はそこにある。
そう言ってしまえば、
肉体の果ての姿に執着する必要はないのかもしれないが、
どんなふうに死を迎え、どんなふうに送られるかは、
少なからず、死後の意識に影響を及ぼしていることを、
知っているのだろうか?と問いたい。
無縁死の魂は、後悔と淋しい思いを抱いているに違いないと
わたしは、経験から思わずにいられない。
それが嫌なら、しっかりと人との絆を築くこと。
今からでも、遅くない。
そして、人との絆は、血が繋がっているからとか、
いつも一緒にいるからとか、
自然にできるものだろうなどと思っていてはいけない。
意識して、努力して、大切にしてこそ、本当の絆は生まれるのだから。
あなたには、しっかりと絆を築けている人が、どれくらいいますか?
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NHKスペシャル「無縁社会~“無縁死”3万2千人の衝撃~」
(2010年1月31日放送)
この取材班によって書かれた書籍だ。
はっきり言ってけっこう重たい内容だった

日本の年間自殺者が、3万人だそうだが、
無縁死も、なんと3万2千人もいるそうだ

警察や自治体でも身元がつかめなかった無縁死の人は、
「行旅死亡人」という分類をされ、官報で公告されるそうだが、
そこに載るのは、わずか数行のみ。
それを読んで、知っている人だと気付くのはまず無理だろう。
だいたい、そんなもの実際に見たこともないし、見ようとも思わない。
つまり、この人たちは自分が誰かを知られずに亡くなった人ということ。
「行旅病人および行旅死亡人取扱法」には、
「住所、居所、もしくは氏名が知れず、かつ(遺体の)引き取り者なき死亡人は、行旅死亡人とみなす」と書かれている。
彼らの多くは、自分であることを自ら絶った人ということができる。
ホームレスをしている人の中にも、そういう人っているのだろう。
「ラジオだけが、友達」 と語るあるホームレスの男性は、
派遣切りで職を失い、路上生活をしながら仕事を探し続ける。
彼は、語る。
「もうこれ以上、自分のことで誰かに迷惑をかけたくない」
だから、生活保護も拒否する。
ある意味、善良でまともな神経を持った人間とも言えるかもしれない。
でも、よく考えてみて欲しい。
人は、もともとひとりで生きて行くために生まれて来るのだろうか?
スピリチュアルで言えば、
人との関わりから、自分自身を知り、
心の触れ合いから、愛を知り育むことを学ぶ。
それなら、迷惑を掛けずに人と関わりあわない人生は、
実り少ない人生の選択と言えるのではないだろうか。
迷惑はかけてもよいのではないだろうか?
その分、自分がしてあげられるようになったら、誰かに返せばいいし、
ならなくても、そのとき感謝の気持ちはお返しできる。
それで、いいと、こころから思う。
目に目なくても、エネルギーはちゃんと回っているのだから。
若い人にも、無縁死の恐怖を抱える人たちがいるという。
また、身寄りから受け取りを拒否される遺体も多いという。
遺体は、屍(しかばね)でしかない。
魂は永遠で、本当の意識はそこにある。
そう言ってしまえば、
肉体の果ての姿に執着する必要はないのかもしれないが、
どんなふうに死を迎え、どんなふうに送られるかは、
少なからず、死後の意識に影響を及ぼしていることを、
知っているのだろうか?と問いたい。
無縁死の魂は、後悔と淋しい思いを抱いているに違いないと
わたしは、経験から思わずにいられない。
それが嫌なら、しっかりと人との絆を築くこと。
今からでも、遅くない。
そして、人との絆は、血が繋がっているからとか、
いつも一緒にいるからとか、
自然にできるものだろうなどと思っていてはいけない。
意識して、努力して、大切にしてこそ、本当の絆は生まれるのだから。
あなたには、しっかりと絆を築けている人が、どれくらいいますか?
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