2010.10/30 [Sat]
犠牲愛 ~親の老後は誰がみる?~
そしてまた、文明の進化により、
依存とは逆に、犠牲的愛に苦しむ親子もあります。
栄養の充実と、医学の進歩によって、
日本の寿命は驚くほど長くなってきました。
そこで生じるのが、老後の問題です。
昔は、親が朽ち果てるまで子どもの誰かが一緒に暮らし、
面倒をみるのが当たり前でした。
でも今は、特に日本は、寿命が延び、
最期までしっかり、親の面倒をみようと思うと、
金銭的にも、肉体的にも、そして精神的にも、
大きな負担がのしかかってきます。
それでも、世間や親戚の体裁を考えると、
特別養護老人施設に入れるのは、気が引ける。
何とかして、自分でどうにかしようともがき、
果てに、親を恨んだり、共に死のうと考える。
人は、ひとりで生きているわけではありません。
どんなにみっともないことでも、世間体が悪くても、
困った時には、プライドを捨て、誰かに助けを請うことは、
恥ずべきことなどではありません。
公的援助が受けられるなら、それも良し、
近所や親戚の人に、SOSを出すのも、必要なことなのです。
無理して、親を抱えて苦しんでいる人をよく見ます。
自分ひとりで、面倒をみることが親孝行、
それが親への愛と勘違いしている人です。
その人に、金銭的、肉体的、あるいは時間的余裕があるなら、
それも素晴らしいことでしょう。
でも、自分のやりたいことを諦め、
何かを捧げるような形で奉仕することは、
真の愛とは、離れてしまっているように思います。
あなたが、親なら心からそれを望みますか?
憎悪の感情を抱いてまでも、そうして欲しいと思いますか?
わたしは、自分の体験を通じて、
犠牲愛は、本当の愛ではなく、
決して相手を真に幸せに導くことはできない のだと
教えらました。
それを学ぶのに、16年間かかりましたが・・・
わたしも、人の親になりました。
そして親として言いたいことは、
「子は親を踏み台にしてもいい」
ということです。
そう思える、親であって欲しいと思いますし、
それをしっかり受け止められる、子であって欲しいと思うのです。
今日も、読んでくれてありがとうございます
ランキング参加中
応援クリック ふたっつ お願いします 
依存とは逆に、犠牲的愛に苦しむ親子もあります。
栄養の充実と、医学の進歩によって、
日本の寿命は驚くほど長くなってきました。
そこで生じるのが、老後の問題です。
昔は、親が朽ち果てるまで子どもの誰かが一緒に暮らし、
面倒をみるのが当たり前でした。
でも今は、特に日本は、寿命が延び、
最期までしっかり、親の面倒をみようと思うと、
金銭的にも、肉体的にも、そして精神的にも、
大きな負担がのしかかってきます。
それでも、世間や親戚の体裁を考えると、
特別養護老人施設に入れるのは、気が引ける。
何とかして、自分でどうにかしようともがき、
果てに、親を恨んだり、共に死のうと考える。
人は、ひとりで生きているわけではありません。
どんなにみっともないことでも、世間体が悪くても、
困った時には、プライドを捨て、誰かに助けを請うことは、
恥ずべきことなどではありません。
公的援助が受けられるなら、それも良し、
近所や親戚の人に、SOSを出すのも、必要なことなのです。
無理して、親を抱えて苦しんでいる人をよく見ます。
自分ひとりで、面倒をみることが親孝行、
それが親への愛と勘違いしている人です。
その人に、金銭的、肉体的、あるいは時間的余裕があるなら、
それも素晴らしいことでしょう。
でも、自分のやりたいことを諦め、
何かを捧げるような形で奉仕することは、
真の愛とは、離れてしまっているように思います。
あなたが、親なら心からそれを望みますか?
憎悪の感情を抱いてまでも、そうして欲しいと思いますか?
わたしは、自分の体験を通じて、
犠牲愛は、本当の愛ではなく、
決して相手を真に幸せに導くことはできない のだと
教えらました。
それを学ぶのに、16年間かかりましたが・・・
わたしも、人の親になりました。
そして親として言いたいことは、
「子は親を踏み台にしてもいい」
ということです。
そう思える、親であって欲しいと思いますし、
それをしっかり受け止められる、子であって欲しいと思うのです。
今日も、読んでくれてありがとうございます






- 関連記事
-
- 本当の親孝行 (2010/11/02)
- 犠牲愛 ~親の老後は誰がみる?~ (2010/10/30)
- 共依存型親子 ~友達親子、パラサイトたち~ (2010/10/28)
- at 09:02
- [親と子の課題をクリアする]
- TB(0) |
- CO(0)
- [Edit]
*Comment
Comment_form