2010.10/28 [Thu]
共依存型親子 ~友達親子、パラサイトたち~
今頃でなんですが、 「親と子の課題をクリアする」 シリーズ
途中でした
書き掛けのブログがあったので、続きを書こうと思います。
前回までの内容は、こちら からご覧ください。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
文明の発達とともに、子育てが楽になりましたよね。
そのことで、「育児」 が 「育自」 の機能を充分に果たさなくなり、
新たな問題が生じてきてしまったのです。
つまり、本来、親子の関係を通じてクリアするべき課題とは別に
新たな課題が追加されているような感じです。
たとえば、
子どもによって、優越感を感じようとする親。
子どもを、あたかも自分の作品のように思う親。
昔同様に、年老いたら子どもに面倒を見てもらうのが当たり前と依存する親。
(今は、寿命が伸びた分、子どもの負担は増しています)
昔は、存在しなかったパターンの親、そして子もしかりです。
友達親子、パラサイト、結婚しない子どもたち・・・
本来子育てを通じて成長するはずの親が、未熟な意識のまま、
子どもの成人を迎えてしまう。
ここに、親も子も共に未熟な親子が生まれてしまうわけです。
彼らは、お互い依存し合います。
そんな彼らは、
優しいこと、心地よいことが、愛だと勘違いしているのかもしれません。
でもそれは、何となく生きているだけではありませんか?
それはいつまで、続くのでしょうか?
それぞれが年老いた時のことを考えていますか?
今が、楽しければそれだけでよいのでしょうか?
たとえば、
パラサイトしている子どもがいるとして、
親は必死に子どものことを考え、
また、子も自分のしたいことをしっかり説明し納得してもらい、
その上で、したいようにさせているなら良いのです。
それは、依存ではありません。
でも、考えなしに、つまり何のハードルも設けず、
嫌われたくないから、あるいは面倒だからと、
したいようにさせているなら、それはどちらも依存です。
子の機嫌を取って好かれようと思う親と、楽したい子。
また、親のプライドを満足させるために、
親の言うまま、金や権力でステイタスを手に入れ、
自分が偉くなった気になっている子どもも、
共依存です。
あなたの家庭は、それに近い状態になっていませんか?
そんな共依存型の親子が、
歯車が狂い、お互いの求めるものに不一致が生じたとき、
どんな親子関係になるのか、想像してみてください。
本当の愛とは、どんなものでしょう?
仲良くいることが愛でしょうか?
ときには、ぶつかり合うことも必要かもしれません。
ときには、厳しさや冷たさを感じるかもしれません。
またときには、忍耐が必要かもしれません。
また、親が「このように生きなさい」と強制するすることも可能です。
それが、親のエゴでなく、子の将来を案じてのことだとしても、
それは、好ましくないことです。
それでは、魂の学びにはなっていないから。
つまり、現象だけ整えても、心に刻まれる体験にはなっていない。
では、どうすれば?
そう、親も子も、自分で気付くほかないのです。
とても、厳しい言い方ですが、それでなければ、意味がない。
そのとき、初めていろいろなことが動き出すのです。
そのためには、中途半端でなく、
う~んとべったり 共依存してみるのも、ひとつの手かも知れませんね。
すべて無駄なことはなく、何でもありが鉄則ですから。
今日も、読んでくれてありがとうございます
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途中でした

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文明の発達とともに、子育てが楽になりましたよね。
そのことで、「育児」 が 「育自」 の機能を充分に果たさなくなり、
新たな問題が生じてきてしまったのです。
つまり、本来、親子の関係を通じてクリアするべき課題とは別に
新たな課題が追加されているような感じです。
たとえば、
子どもによって、優越感を感じようとする親。
子どもを、あたかも自分の作品のように思う親。
昔同様に、年老いたら子どもに面倒を見てもらうのが当たり前と依存する親。
(今は、寿命が伸びた分、子どもの負担は増しています)
昔は、存在しなかったパターンの親、そして子もしかりです。
友達親子、パラサイト、結婚しない子どもたち・・・
本来子育てを通じて成長するはずの親が、未熟な意識のまま、
子どもの成人を迎えてしまう。
ここに、親も子も共に未熟な親子が生まれてしまうわけです。
彼らは、お互い依存し合います。
そんな彼らは、
優しいこと、心地よいことが、愛だと勘違いしているのかもしれません。
でもそれは、何となく生きているだけではありませんか?
それはいつまで、続くのでしょうか?
それぞれが年老いた時のことを考えていますか?
今が、楽しければそれだけでよいのでしょうか?
たとえば、
パラサイトしている子どもがいるとして、
親は必死に子どものことを考え、
また、子も自分のしたいことをしっかり説明し納得してもらい、
その上で、したいようにさせているなら良いのです。
それは、依存ではありません。
でも、考えなしに、つまり何のハードルも設けず、
嫌われたくないから、あるいは面倒だからと、
したいようにさせているなら、それはどちらも依存です。
子の機嫌を取って好かれようと思う親と、楽したい子。
また、親のプライドを満足させるために、
親の言うまま、金や権力でステイタスを手に入れ、
自分が偉くなった気になっている子どもも、
共依存です。
あなたの家庭は、それに近い状態になっていませんか?
そんな共依存型の親子が、
歯車が狂い、お互いの求めるものに不一致が生じたとき、
どんな親子関係になるのか、想像してみてください。
本当の愛とは、どんなものでしょう?
仲良くいることが愛でしょうか?
ときには、ぶつかり合うことも必要かもしれません。
ときには、厳しさや冷たさを感じるかもしれません。
またときには、忍耐が必要かもしれません。
また、親が「このように生きなさい」と強制するすることも可能です。
それが、親のエゴでなく、子の将来を案じてのことだとしても、
それは、好ましくないことです。
それでは、魂の学びにはなっていないから。
つまり、現象だけ整えても、心に刻まれる体験にはなっていない。
では、どうすれば?
そう、親も子も、自分で気付くほかないのです。
とても、厳しい言い方ですが、それでなければ、意味がない。
そのとき、初めていろいろなことが動き出すのです。
そのためには、中途半端でなく、
う~んとべったり 共依存してみるのも、ひとつの手かも知れませんね。
すべて無駄なことはなく、何でもありが鉄則ですから。
今日も、読んでくれてありがとうございます






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