2011.09/09 [Fri]
自死者(自殺者)の魂はどこへ行くの? 番外編
※本文中では、自死ではなく自殺という言葉を使わせていただきます。
これは「自死」という言葉が、まだ一般的な言葉として認識されていないからです。
その点ご理解の上、お読みいただけたらと思います。
わたしの師匠である、
ブルース・モーエン氏の来日ワークショップの時のノートを見ていて、
自殺者について触れている部分を見つけました。
以前の記事に付け加えておきたいなぁと思い、書いてみます。
以前の記事は、こちら をクリックしてください。
また、死後世界について最初から読みたい方は、
カテゴリー「死後世界の探索」 よりお読みくださいね。
ブルースのレクチャーでは、自殺者の行くところとして、
<フォーカス23>後悔している、眠っている、深い悲しみの中にいる場合
<フォーカス24~26>地獄のようなエリア(わたしの言う「さながら地獄」)
自分を責めるエリア
<フォーカス27> ヒーリングセンター内、癒しの場、眠りの場など
学校のような施設、抱えた信念を変える場合
とのメモがあります。
それぞれのエリアについては、別の記事やヘミシンク関係のサイトを
参照していただけたらと思います。
ここで補足したいのは、自殺という同じ行為で亡くなっても、
その理由や状況で、その後の行き場所はかなり違ってくるということです。
そして、その後のワークショップで、
「自殺者も、その理由や死後の意識の状態によって、
普通に亡くなった人となんら変わりなく受け入れられることもある」
と、語っていました。
自殺者は、すべての者が後悔し、隔離された場所に
行くわけではないのです。
私の出逢ったある男性も、衝動的に自殺し、
そのことを認識できず幽霊のように、以前の住まいにいました。
リトリーバルすると、彼の親戚が迎えに来ていました。
(ヘルパーやガイドかもしれませんが)
この出迎えのようすは、普通の人と同じです。
この方の自殺で、残されたご家族は
辛い思いや反省を促されているだろうと思われます。
でも、それはきっと彼らに必要な学びであって、
彼の問題ではないのだろうと思うのです。
そういう自殺もあるのだろうと思いました。
死後の世界と触れていて、最近特に思うのは、
生きることも死ぬことも、そして生まれることも
死後世界の存在たちにとっては、わたし達が捉えているほど、
大きなことではなく、容易になされることなんだってことです。
さすがに、わたしも肉体を持つ身、
それをストレートに言われることもありますが、
彼らのようにドライ?に受け止めることは、まだできずにいます。
現在日本では、
年間3万人が、自殺で命を絶っているといいます。
もし、それが本当にしてはならない重大なミステイク?なら、
この状況をガイドたちも黙ってみていないだろうと思うのです。
その結果、そこにも有用な学びが存在しているということのようです。
亡くなった命を嘆くのではなく、
それを元に残されたものが何かを学び、気づくことができれば、
途中で失われた命も、報われるのではないかと思うのです。
それは、わたしたち一人ひとりにかかっているのだろうと思います。
死を選ばなければならなかった追い詰められた人々の中には、
社会のひずみを背負ってくれた人もいるでしょう。
自殺者の増えてしまったこの社会を、政治のせいにするのでなく、
わたしたち一人ひとりが、自分でできる方法で変えていく努力が
求められているように思います。
そして、もし死にたいと思っている人、
あるいは自殺してしまった人がいたら、
ぜひ、愛のエネルギーを投射してください。
どんな方法でもかまいませんから。
それもひとつの努力であり、供養だろうと思います。
今日も、ご訪問ありがとうございます
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これは「自死」という言葉が、まだ一般的な言葉として認識されていないからです。
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学校のような施設、抱えた信念を変える場合
とのメモがあります。
それぞれのエリアについては、別の記事やヘミシンク関係のサイトを
参照していただけたらと思います。
ここで補足したいのは、自殺という同じ行為で亡くなっても、
その理由や状況で、その後の行き場所はかなり違ってくるということです。
そして、その後のワークショップで、
「自殺者も、その理由や死後の意識の状態によって、
普通に亡くなった人となんら変わりなく受け入れられることもある」
と、語っていました。
自殺者は、すべての者が後悔し、隔離された場所に
行くわけではないのです。
私の出逢ったある男性も、衝動的に自殺し、
そのことを認識できず幽霊のように、以前の住まいにいました。
リトリーバルすると、彼の親戚が迎えに来ていました。
(ヘルパーやガイドかもしれませんが)
この出迎えのようすは、普通の人と同じです。
この方の自殺で、残されたご家族は
辛い思いや反省を促されているだろうと思われます。
でも、それはきっと彼らに必要な学びであって、
彼の問題ではないのだろうと思うのです。
そういう自殺もあるのだろうと思いました。
死後の世界と触れていて、最近特に思うのは、
生きることも死ぬことも、そして生まれることも
死後世界の存在たちにとっては、わたし達が捉えているほど、
大きなことではなく、容易になされることなんだってことです。
さすがに、わたしも肉体を持つ身、
それをストレートに言われることもありますが、
彼らのようにドライ?に受け止めることは、まだできずにいます。
現在日本では、
年間3万人が、自殺で命を絶っているといいます。
もし、それが本当にしてはならない重大なミステイク?なら、
この状況をガイドたちも黙ってみていないだろうと思うのです。
その結果、そこにも有用な学びが存在しているということのようです。
亡くなった命を嘆くのではなく、
それを元に残されたものが何かを学び、気づくことができれば、
途中で失われた命も、報われるのではないかと思うのです。
それは、わたしたち一人ひとりにかかっているのだろうと思います。
死を選ばなければならなかった追い詰められた人々の中には、
社会のひずみを背負ってくれた人もいるでしょう。
自殺者の増えてしまったこの社会を、政治のせいにするのでなく、
わたしたち一人ひとりが、自分でできる方法で変えていく努力が
求められているように思います。
そして、もし死にたいと思っている人、
あるいは自殺してしまった人がいたら、
ぜひ、愛のエネルギーを投射してください。
どんな方法でもかまいませんから。
それもひとつの努力であり、供養だろうと思います。
今日も、ご訪問ありがとうございます






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- [自死者(自殺者)とその家族]
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Re: 死は終わりではない
コメントありがとうございます。
そうですね。
死は終わりではないことは、故人とのコミュニケーションから正に実感しています。
自死も、また終わりではありません。
ただ、多くの場合余計に背負うものが増えます。
それは、償いとは少し違うかもしれません。
ただ、意識の進化という点に注目すれば、
重荷を背負うことになりかねません。
ご友人は、それを背負ってさらに進化への道を歩んでいる素敵な魂だと思います。
そういう道もあります。
深淵な進化の過程に間違いはないのでしょうね。
自死の周りの方が、自分を責める必要もないということです。