2007.12/19 [Wed]
『リトリーバル』 (救出活動) 1 ~死んだらどこへ行く?~
『リトリーバル』 とは、日本語にすると、 『救出活動』 ということになります。
簡単に言うと、
「本来行くべきところへ 辿り着けずに迷っている魂を導き、
次の生への転生の場へ誘導すること」 です。
本来行くべきところ?
辿り着けずに迷っている魂?
次の生への転生の場?
わからないですよね。
ということで、『リトリーバル』 について説明する前に、
まず、 「人は死んだらどこへ行くのか?」 ということについて、お話しましょう。
人は、死を迎えると その魂は、肉体を離れます。
そして、 「魂は永遠であり、死後の世界が存在する。」 のです。
ここに疑問をお持ちの方は、 「死んだらどうなるの?」 (ここをクリック) をお読み下さい。
まず、身体から離れた霊的意識体(魂)は、所縁の地を訪ねたり、お葬式の様子を観たり、
しばらくはこの世に滞在します。
いわゆる日本的にいえば 49日くらいでしょうか?
そして、気が済んだところで、 「転生の場」 へと昇天していきます。
そこでは、死のショックを軽減し、死後の世界を受け入れやすくするために
亡くなった方に対応して、多種多様な場面を創って迎えてくれます。
三途の川へ行くと思っている人には、三途の川を
明るい草原へと思っている人には、花々の咲き乱れる草原を
亡くなった親しい人が待っていてくれると思っている人には、相応しい人が迎えてくれます。
その後、癒しの場や、過去世や今世を振り返る場、
次の人生について計画する場などを経て、また、この世に生まれ落ちて来ます。
詳しいことは、また改めてお話しますね。
さて、ここでぜひ皆さんお伝えしたいこと!
それは、
亡くなって、真っ直ぐに「転生の場」に行き着ける人が、とても少ないということです。
聞いた話では、真っ直ぐ行き着ける人は、10~20%位で、
あとの人は、 『信念体系領域』 と言われる、人の想念・信念が創り出した世界 に
入り込んでしまうのです。
よく 「地獄」とか 「天国」とか言いますよね。
人を処罰するための「地獄」や、今世のがんばりを認められ、安楽に暮らせる「天国」、
そういうところは実際ありませんが、 似た世界は存在するようです。
たとえば、ある宗教で、「亡くなったら、こんな天国に行くのよ。」と
リアルなイメージで教えられた人たちは、
自分達の信念でそういうところを具現化してしまいます。
そこは、「天国」のようなところで、居心地も悪くないことでしょう。
また、敵と戦い続ける武士の世界では、切っても切っても、
実際には肉体を持たぬ魂たちに、死はなく(死んでますものね!)、
永遠に戦いが待っています。
或いは、だますことが悦びだった人達が集う世界では、
だまして嬉しがり、だまされて傷つくことを繰り返しています。
これらの世界は、さながら「地獄」でしょう。
この 『信念体系領域』 から抜け出すには、
自ら、不自然さに気付き、そこから離れようと思う必要 があるようです。
しかし、前述の偽天国は 居心地が良すぎ、
武士の世界は 連帯感が強く ひとりだけ抜けることは難しい。
簡単には、抜け出せそうにありませんね。
また、死んだことに気付かない人や 死んだことを認めない人もいます。
そして、死んだことはわかっていても、この世に未練があり留まっている者たち。
彼らは、先程の『信念体系領域』とは別の、 現世と重なるように近い領域 に存在し、
生きているかのように振舞っています。
いわゆる、幽霊やお化けです。
時に、生きている私達と見分けがつかないくらいはっきりと具現化して、
人ごみにまぎれていたりします。
他に、自殺した人や、自分には罪があり昇天する資格がないと思っている霊たちは、
一人ぼっちの世界を創り、まるで引きこもりのように閉じこもっています。
彼らも、ここの領域の住人です。
では、どういう人が、このような 『信念体系領域』 に入って、しまうのでしょう?
そこに入らず、真っ直ぐに 「転生の場」 に行くには、どうしたらいいのでしょうか?
次回は、そこのところから、お話しましょう。
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簡単に言うと、
「本来行くべきところへ 辿り着けずに迷っている魂を導き、
次の生への転生の場へ誘導すること」 です。
本来行くべきところ?
辿り着けずに迷っている魂?
次の生への転生の場?
わからないですよね。
ということで、『リトリーバル』 について説明する前に、
まず、 「人は死んだらどこへ行くのか?」 ということについて、お話しましょう。
人は、死を迎えると その魂は、肉体を離れます。
そして、 「魂は永遠であり、死後の世界が存在する。」 のです。
ここに疑問をお持ちの方は、 「死んだらどうなるの?」 (ここをクリック) をお読み下さい。
まず、身体から離れた霊的意識体(魂)は、所縁の地を訪ねたり、お葬式の様子を観たり、
しばらくはこの世に滞在します。
いわゆる日本的にいえば 49日くらいでしょうか?
そして、気が済んだところで、 「転生の場」 へと昇天していきます。
そこでは、死のショックを軽減し、死後の世界を受け入れやすくするために
亡くなった方に対応して、多種多様な場面を創って迎えてくれます。
三途の川へ行くと思っている人には、三途の川を
明るい草原へと思っている人には、花々の咲き乱れる草原を
亡くなった親しい人が待っていてくれると思っている人には、相応しい人が迎えてくれます。
その後、癒しの場や、過去世や今世を振り返る場、
次の人生について計画する場などを経て、また、この世に生まれ落ちて来ます。
詳しいことは、また改めてお話しますね。
さて、ここでぜひ皆さんお伝えしたいこと!
それは、
亡くなって、真っ直ぐに「転生の場」に行き着ける人が、とても少ないということです。
聞いた話では、真っ直ぐ行き着ける人は、10~20%位で、
あとの人は、 『信念体系領域』 と言われる、人の想念・信念が創り出した世界 に
入り込んでしまうのです。
よく 「地獄」とか 「天国」とか言いますよね。
人を処罰するための「地獄」や、今世のがんばりを認められ、安楽に暮らせる「天国」、
そういうところは実際ありませんが、 似た世界は存在するようです。
たとえば、ある宗教で、「亡くなったら、こんな天国に行くのよ。」と
リアルなイメージで教えられた人たちは、
自分達の信念でそういうところを具現化してしまいます。
そこは、「天国」のようなところで、居心地も悪くないことでしょう。
また、敵と戦い続ける武士の世界では、切っても切っても、
実際には肉体を持たぬ魂たちに、死はなく(死んでますものね!)、
永遠に戦いが待っています。
或いは、だますことが悦びだった人達が集う世界では、
だまして嬉しがり、だまされて傷つくことを繰り返しています。
これらの世界は、さながら「地獄」でしょう。
この 『信念体系領域』 から抜け出すには、
自ら、不自然さに気付き、そこから離れようと思う必要 があるようです。
しかし、前述の偽天国は 居心地が良すぎ、
武士の世界は 連帯感が強く ひとりだけ抜けることは難しい。
簡単には、抜け出せそうにありませんね。
また、死んだことに気付かない人や 死んだことを認めない人もいます。
そして、死んだことはわかっていても、この世に未練があり留まっている者たち。
彼らは、先程の『信念体系領域』とは別の、 現世と重なるように近い領域 に存在し、
生きているかのように振舞っています。
いわゆる、幽霊やお化けです。
時に、生きている私達と見分けがつかないくらいはっきりと具現化して、
人ごみにまぎれていたりします。
他に、自殺した人や、自分には罪があり昇天する資格がないと思っている霊たちは、
一人ぼっちの世界を創り、まるで引きこもりのように閉じこもっています。
彼らも、ここの領域の住人です。
では、どういう人が、このような 『信念体系領域』 に入って、しまうのでしょう?
そこに入らず、真っ直ぐに 「転生の場」 に行くには、どうしたらいいのでしょうか?
次回は、そこのところから、お話しましょう。




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