2010.05/29 [Sat]
除霊と浄化、そして憑依 その1
今日は、「除霊と浄化の違い」 について、
「憑依現象」 にも触れながら書いてみますね。
わたしは、「リトリーバル」 という魂の浄化法をお教えしています。
これは、
死んだことに気付いていないもの、
気付いていても、まだ、死を受け入れられないでもがいているもの、
自分を責めて、引きこもりのように孤独な世界を創ってこもっているもの、
自分の執着が作り出す世界に身を委ね過ごすもの、
地獄や天国のように、生前の信念に基づき仮想世界に入ってしまうもの、
様々な理由によって、本来行くべき、転生の場に辿り着けず
彷徨ったり、囚われたりしているものたちを
救出する奉仕活動のことです。
「リトリーバル」 は、奉仕だけに留まらず、
私たち自身の意識の進化に、直接的に影響していきます。
そのことについては、常々書いていますので、
今日は、割愛させていただきますね。
そして、この 「リトリーバル」 は、「浄化」 と同じ行為とも言えるでしょう。
それと、ぜひ、区別して欲しいのが、「除霊」 です。
「除霊」 は、好ましくない状態の霊(魂)を、その場から、
遠ざけるだけです。
たとえば、霊感体質の人がいて、その人がしかるべき知識がなく、
自分の意識の扉を開けたままの状態にしておけば、
あらゆる霊たちが、居心地の良い場所として、肉体の中に侵入してきます。
それを俗に、「憑依」 と呼んでいます。
「憑依」 する霊を、皆さん極悪のように言いますが、
決してそうではないと、わたしは思います。
中には、超ワルもいるでしょうが、そんなヤカラは稀です。
「憑依」 する霊のほとんどは、きっと、
「たまたま、扉が開いていたから、入ってみただけ・・・」
という感じではないでしょうか。
居心地が良ければ、長居もしたくなるでしょうし、
出て行けと言われても、できるだけ居座りたいと思うのは、
生きていた時と同じ感覚でしょう。
さらに、わたしたちが 「憑依」 と呼んでいるものの大半は、
体の中に入るというより、そばにいるだけのことが多いのです。
いろいろな理由で、私たち自身がそれに影響されてしまうのです。
そこら辺の解説は次回に回して、話を進めますね。
それらの存在を、説得したり、脅かしたりして、
その人の中から追い出すのが、「除霊」 です。
テレビなどで、「えいや~!このものから出て行け~!」 などと
呪文やお経を唱えたりするのを、見たことがあると思います。
追い出された霊は、どこに行くのでしょうか?
反省して、行くべきところに自分から進んで行くでしょうか?
そういうしゅしょうなヤカラは、少ないのではないでしょうか。
だったら、初めから憑依しないだろうし。
どこに行ったらよいのかわからずにそうしていたなら、
何の解決にもなっていません。
そこら辺をうろうろするか、
他の宿をを探して入り込むのが関の山ではと思います。
つまり、憑依していた霊のためには、ちっともなっていないのです。
そして、さらに憑依された側のためにも、なっていないのかもしれません。
つまり、憑依された側も、扉は開けたままですから、
また、少しすれば他のヤカラが、それに気付き入って来るでしょう。
そして、また除霊してもらいに行くことになる。
つまり、除霊する霊能者が儲かる?みたいな・・・失礼
「じゃあ、どうしたらいいのよ!」 って思いますよね。
ここで有効なのが、「リトリーバル」 などの浄化です。
憑依霊も、もちろん救われます。
気づきや、囚われから開放される手段を得ることができるのですから。
そして、憑依されていた側も憑依霊の学びと共に、得るものがあるのです。
長くなったので、この続きは次回に回したいと思います。
ごめんなさーい!
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「憑依現象」 にも触れながら書いてみますね。
わたしは、「リトリーバル」 という魂の浄化法をお教えしています。
これは、
死んだことに気付いていないもの、
気付いていても、まだ、死を受け入れられないでもがいているもの、
自分を責めて、引きこもりのように孤独な世界を創ってこもっているもの、
自分の執着が作り出す世界に身を委ね過ごすもの、
地獄や天国のように、生前の信念に基づき仮想世界に入ってしまうもの、
様々な理由によって、本来行くべき、転生の場に辿り着けず
彷徨ったり、囚われたりしているものたちを
救出する奉仕活動のことです。
「リトリーバル」 は、奉仕だけに留まらず、
私たち自身の意識の進化に、直接的に影響していきます。
そのことについては、常々書いていますので、
今日は、割愛させていただきますね。
そして、この 「リトリーバル」 は、「浄化」 と同じ行為とも言えるでしょう。
それと、ぜひ、区別して欲しいのが、「除霊」 です。
「除霊」 は、好ましくない状態の霊(魂)を、その場から、
遠ざけるだけです。
たとえば、霊感体質の人がいて、その人がしかるべき知識がなく、
自分の意識の扉を開けたままの状態にしておけば、
あらゆる霊たちが、居心地の良い場所として、肉体の中に侵入してきます。
それを俗に、「憑依」 と呼んでいます。
「憑依」 する霊を、皆さん極悪のように言いますが、
決してそうではないと、わたしは思います。
中には、超ワルもいるでしょうが、そんなヤカラは稀です。
「憑依」 する霊のほとんどは、きっと、
「たまたま、扉が開いていたから、入ってみただけ・・・」
という感じではないでしょうか。
居心地が良ければ、長居もしたくなるでしょうし、
出て行けと言われても、できるだけ居座りたいと思うのは、
生きていた時と同じ感覚でしょう。
さらに、わたしたちが 「憑依」 と呼んでいるものの大半は、
体の中に入るというより、そばにいるだけのことが多いのです。
いろいろな理由で、私たち自身がそれに影響されてしまうのです。
そこら辺の解説は次回に回して、話を進めますね。
それらの存在を、説得したり、脅かしたりして、
その人の中から追い出すのが、「除霊」 です。
テレビなどで、「えいや~!このものから出て行け~!」 などと
呪文やお経を唱えたりするのを、見たことがあると思います。
追い出された霊は、どこに行くのでしょうか?
反省して、行くべきところに自分から進んで行くでしょうか?
そういうしゅしょうなヤカラは、少ないのではないでしょうか。
だったら、初めから憑依しないだろうし。
どこに行ったらよいのかわからずにそうしていたなら、
何の解決にもなっていません。
そこら辺をうろうろするか、
他の宿をを探して入り込むのが関の山ではと思います。
つまり、憑依していた霊のためには、ちっともなっていないのです。
そして、さらに憑依された側のためにも、なっていないのかもしれません。
つまり、憑依された側も、扉は開けたままですから、
また、少しすれば他のヤカラが、それに気付き入って来るでしょう。
そして、また除霊してもらいに行くことになる。
つまり、除霊する霊能者が儲かる?みたいな・・・失礼

「じゃあ、どうしたらいいのよ!」 って思いますよね。
ここで有効なのが、「リトリーバル」 などの浄化です。
憑依霊も、もちろん救われます。
気づきや、囚われから開放される手段を得ることができるのですから。
そして、憑依されていた側も憑依霊の学びと共に、得るものがあるのです。
長くなったので、この続きは次回に回したいと思います。
ごめんなさーい!





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