2009.01/30 [Fri]
障害とコンプレックス 続編 1
今回は、
障害や、人との違い、コンプレックスなどを持つ人について
スピリチュアルな視点から書いてみることにしました。
そういうものを抱えて生きていく人には、
小さい頃から、無邪気な心ではいられない日常が付きまとう。
できるだけ、人に負担や迷惑をかけたくない。
自分の心の内をオープンにしたら、周りの雰囲気を暗くしてしまう。
余計な気を使わせたくない。
クヨクヨしている、小さいヤツと思われたくない。
周りへの気遣い、ふつうの人への憧れや虚栄心、理解への諦めなど、
様々な想いが交錯し、
心のままに、振舞うことができなくなっていく。
どこかいつも演じているような 感覚を持って生きてきたんじゃないでしょうか。
相談者も、いつも明るく振舞う弟さんに、
そんな悩みがあるとは思ってもみなかったそうです。
「一緒に居て違和感がなく、難聴であることを忘れてしまうくらい。」
と言っていました。
でもね、本人はその分、いつも周りに気を使っていたはず。
もしも突然、障害やコンプレックスがなくなったら、
「あ~!!な~んて楽なんだろう!天国みたい・・・」 と感じるはずです。
だって、少し頭痛がするくらいでも、鼻が詰まっているだけでも、
人に違和感を感じさせないように振舞うのは、
パワーがいり、疲れることだと思いませんか?
スピリチュアル的に言うならば、
気を遣っていることを、周りに感じさせないように振舞う。
それが日常でできているということは、
かなり意識のレベルが高く、心の許容範囲が広いということ。
人は皆、自分のものさしで、相手のことも考えています。
たとえば、
人に気を遣わない人は、気を遣ってもらっていることに気付けないし、
あからさまに気を遣う人は、
相手に同様に気遣ってもらうことを期待している人です。
もし、あなたが彼を含む会話の輪の中に居たら、どんな風に接しますか?
初対面同士だとしても、
相手を観察する余裕があれば、彼が補聴器をしていることに気付くはずです。
めんどくさいヤツが居るなと、気付かない振りをする者。
聴こえなければ聞き返すだろうと、かまわず盛り上がって会話する者。
「彼、耳悪いみたいだから、もっとゆっくり話してやれよ。」と善人振る者。
そっと彼のそばに行き、「大丈夫?聴こえる?」と聞いてあげる者。
彼が話しに加われていないことに気付き、聞き取り易いように、
さりげなく話の流れを解説し繰り返す者。
新しい話題に切り替え、まず彼から発言できるよう配慮する者。
そして、まったく気付かない者。
いろいろな対応が考えられます。
また、彼の立場でも、
ともすれば、被害者意識を持ったり、
気遣いの足りない周りの人々を責めたりするかもしれません。
どれが良い悪いでなく、
あなたも彼も常に何かしらを選択し、行動しているのです。
では、彼の周りには、彼に近い意識レベルの仲間が居るのでしょうか?
彼に気遣ってあげることができない人たちと、
その場に疎外感を感じてしまう彼は、
意識のレベルが違うのかもしれません。
そういう中にいれば、違和感を感じるでしょうし、
余り 居心地も良くないのは当然です。
彼の側から考えれば、
そういうことをわかって そこに居るのなら、
見方、感じ方が違って来るでしょう。
意識の世界は、完全な階層世界です。
それぞれに大切な学びがあり、一段ずつ地道に上るしかありません。
でも、現世はいろいろなレベルの魂が混在しています。
そういう学び方ができる唯一の場だとも言われています。
そう思って、諦め、居直って強く生きていくのもいいでしょう。
でも、そういうことを解って、
さりげなく包んでくれる人や場所も、必ずあるはずです。
だから、
現世的な視点、つまり同年代だとか、かっこよさ、収入などでなく、
心のレベルを意識して、自分の居場所を選ぶのも、ありです。
自分に合った仲間、同レベルの意識の中にいるときは、
心安らぎ、楽しいときを感じることができるでしょう。
では、あなたがそんな存在になりたいと思ったとき、
どんな風に考え、どんな風に行動したらいいのでしょう。
またまた、長くなってしまいました。
続きは、次回にしますね。
ランキング参加中
応援クリック ふたつ お願いします 
障害や、人との違い、コンプレックスなどを持つ人について
スピリチュアルな視点から書いてみることにしました。
そういうものを抱えて生きていく人には、
小さい頃から、無邪気な心ではいられない日常が付きまとう。
できるだけ、人に負担や迷惑をかけたくない。
自分の心の内をオープンにしたら、周りの雰囲気を暗くしてしまう。
余計な気を使わせたくない。
クヨクヨしている、小さいヤツと思われたくない。
周りへの気遣い、ふつうの人への憧れや虚栄心、理解への諦めなど、
様々な想いが交錯し、
心のままに、振舞うことができなくなっていく。
どこかいつも演じているような 感覚を持って生きてきたんじゃないでしょうか。
相談者も、いつも明るく振舞う弟さんに、
そんな悩みがあるとは思ってもみなかったそうです。
「一緒に居て違和感がなく、難聴であることを忘れてしまうくらい。」
と言っていました。
でもね、本人はその分、いつも周りに気を使っていたはず。
もしも突然、障害やコンプレックスがなくなったら、
「あ~!!な~んて楽なんだろう!天国みたい・・・」 と感じるはずです。
だって、少し頭痛がするくらいでも、鼻が詰まっているだけでも、
人に違和感を感じさせないように振舞うのは、
パワーがいり、疲れることだと思いませんか?
スピリチュアル的に言うならば、
気を遣っていることを、周りに感じさせないように振舞う。
それが日常でできているということは、
かなり意識のレベルが高く、心の許容範囲が広いということ。
人は皆、自分のものさしで、相手のことも考えています。
たとえば、
人に気を遣わない人は、気を遣ってもらっていることに気付けないし、
あからさまに気を遣う人は、
相手に同様に気遣ってもらうことを期待している人です。
もし、あなたが彼を含む会話の輪の中に居たら、どんな風に接しますか?
初対面同士だとしても、
相手を観察する余裕があれば、彼が補聴器をしていることに気付くはずです。
めんどくさいヤツが居るなと、気付かない振りをする者。
聴こえなければ聞き返すだろうと、かまわず盛り上がって会話する者。
「彼、耳悪いみたいだから、もっとゆっくり話してやれよ。」と善人振る者。
そっと彼のそばに行き、「大丈夫?聴こえる?」と聞いてあげる者。
彼が話しに加われていないことに気付き、聞き取り易いように、
さりげなく話の流れを解説し繰り返す者。
新しい話題に切り替え、まず彼から発言できるよう配慮する者。
そして、まったく気付かない者。
いろいろな対応が考えられます。
また、彼の立場でも、
ともすれば、被害者意識を持ったり、
気遣いの足りない周りの人々を責めたりするかもしれません。
どれが良い悪いでなく、
あなたも彼も常に何かしらを選択し、行動しているのです。
では、彼の周りには、彼に近い意識レベルの仲間が居るのでしょうか?
彼に気遣ってあげることができない人たちと、
その場に疎外感を感じてしまう彼は、
意識のレベルが違うのかもしれません。
そういう中にいれば、違和感を感じるでしょうし、
余り 居心地も良くないのは当然です。
彼の側から考えれば、
そういうことをわかって そこに居るのなら、
見方、感じ方が違って来るでしょう。
意識の世界は、完全な階層世界です。
それぞれに大切な学びがあり、一段ずつ地道に上るしかありません。
でも、現世はいろいろなレベルの魂が混在しています。
そういう学び方ができる唯一の場だとも言われています。
そう思って、諦め、居直って強く生きていくのもいいでしょう。
でも、そういうことを解って、
さりげなく包んでくれる人や場所も、必ずあるはずです。
だから、
現世的な視点、つまり同年代だとか、かっこよさ、収入などでなく、
心のレベルを意識して、自分の居場所を選ぶのも、ありです。
自分に合った仲間、同レベルの意識の中にいるときは、
心安らぎ、楽しいときを感じることができるでしょう。
では、あなたがそんな存在になりたいと思ったとき、
どんな風に考え、どんな風に行動したらいいのでしょう。
またまた、長くなってしまいました。
続きは、次回にしますね。





- 関連記事
-
- 障害とコンプレック 続編 2 (2009/02/01)
- 障害とコンプレックス 続編 1 (2009/01/30)
- 障害とコンプレックス (2009/01/25)
- at 10:03
- [『辛い』と思う、負のスパイラル]
- TB(0) |
- CO(0)
- [Edit]
*Comment
Comment_form