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障害とコンプレックス

今日は、知り合いからの相談について書いてみようと思います。

最近、障害を持つ弟さんが悩んでいることを知り、
どうアドバイスしたらいいものか、という相談です。

障害をコンプレックスと置き換えれば、ほとんどの人に当てはまる悩みでは?
と思います。
障害者と接点がない人は、そんな風に置き換えてお読みいただけたらと思います。


彼は、生まれつき高度難聴という障害を持っているのですが、
補聴器で、健常者とほとんど変わりなくすごすことが可能です。
頭もよく、友人にも恵まれ、しっかり生きていると、お姉さんは思っていたそうです。
ところが、健常者に見えることが、対人関係に大きな壁を作っていたのです。

一対一なら聞き取れても、大勢の中ではほとんど聞き取れない。
しかし何度も聞き返しては、うっとうしがられる。
気を使う人付き合いが面倒になり、ひとりでいる方がと思ったりする。
孤独感がいつも付きまとう。
完全な聾唖者には、ネットワークがあり、手話での会話が中心。
話せるから話したい彼には、そこにも馴染めない。

いっそのこと聾唖者に生まれた方がと思ったり、死が頭をよぎることも・・・
実際に障害者の中では難聴者の自殺がすごく多いらしい。
冷静で他人事のように話す彼に、どう対処してあげたらいいものか?



スピリチュアル的に言えば、
何か意味があって そういう障害を抱えて生まれてきたはずです。


とは言え、自分の人生の意味や 生まれるとき約束した使命は、
20代という若さでは、まだ気付きづらい。
だから今日は、もう少し現世的な視点で書いてみようと思います。



障害を持つものは、皆、孤独だという話を聞いたことがあります。
障害というのは、同じように見えても、
それぞれ微妙に程度が違い、また、できることも違ってくる。
それ故、何々が悪いと言っても、生活面でも、メンタル面でも、
自分の悩みは自分だけのものであることが多いそうです。

生まれつき障害を持つ者のほとんどが、そういったことで悩むそうです。
元々、健常者との違いに厚い壁を感じ、かつ、同じ障害者同士でも分かり合うのは難しい。
それに、友人が障害者ばかりでは、惨めな気持ちになってしまう。
人付き合いにおける孤独感は、ずっと付いて回るのでしょう。

それを乗り越えるのには、どんな考え方をしたら良いか?
そう想うとき、いつも頭に浮かぶのは、
乙武洋匡さんの 「五体不満足」 です。
その中で忘れられない言葉。

「僕たち障害者をかわいそうと思わないでください。
同情や憐れみは、僕たちを惨めな気持ちにさせます。
・・・そして、障害もひとつの個性です。」


当時、そんな言葉に、私は衝撃を覚えました。
だってそれまで、
障害を持つ理由は様々あっても、彼らは弱い存在で、社会が護るもの、
そういう人を見かけたら、親切にすることは 人として必要で当然なこと。
それが良いことと思っていましたから。
彼らの心の負担になっているとは、考えてみたこともありませんでした。

それ以来、障害を持つ者への見方と対応が 変わりました。
でもやはり、障害者の気持ちは、私にはわからない。
それは、仕方のないことですし、
彼らがわかって欲しいと 皆に望むなら、それもエゴになってしまうでしょう。

そして、誰も相手のことを100%解れないから、交流しわかろうと努める。
それが、人と人の意識の触れ合いです。

障害はなくとも、人は皆それぞれに、
心に秘めるコンプレックスや孤独感を 持っているものではないでしょうか。
解ってもらえない、解り合えないというのは、誰もが抱える思いであり、
そのテーマのために 人は生まれて来ると言ってもいいくらいなのです。

そして、障害を持つものは、
人との接点をより密に持つことを 選んで来たはずです。


どうせ取組まなければならないテーマなら、
前向きに捉えることができたらいいですね。


障害を抱えていることは、良いことだという前提で考えてみてください。
苦しみにばかり目を向けず、そこから得られることを探すのです。


たとえば、自分に対するその人の対応で、心の幅を視ることができるでしょう。
また、悩みを打ち明けることで、近づける人もいるでしょう。
そして、何より辛い思いをしてきた分、心が成長しているはずです。
だから、人の心がふつうの人よりわかってあげられる。
それは、何にも変えがたい宝ではないでしょうか。

また、健常者と聾唖者の両方の気持ちがわかる。
それらを繋ぐパイプ役は、彼にしかできないことではないでしょうか。

ふつうの人と同じように過ごしたい。
そう思うから、苦しくなり、哀しくなってしまう。
障害があるからこそ、味わえる感動もあるのではないでしょうか。

乙武さんの言った、「障害もひとつの個性」 という言葉。
そこにはどうあがいても消すことができない事実への
居直りのようなものを感じます。

乙武さんが 健常者の中で暮らすには、そう思わなければやっていけない
苦悩があったのかもしれません。

居直りでもいいから、
ないものを、得られないことを 望むのでなく、
自分が持つものに、できることに 価値を見出して生きて行けたら、
どんな人も、どんな境遇でも、
幸せを見つけることができるように思います。


輪廻を終える人間最期の転生で、
障害というハードルを抱えて生まれる者が 多いと聞きました。
乙武さんも そんなひとりだとか。
そんな彼にも、次々と悩むことが出て来るそうです。


自分の持つ障害や境遇・コンプレックスに、苦悩するすべての人に
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*Comment

シークレットコメントさんへ

少しでも、お力になれたなら良かったです。

がんばってくださいね。
そっと、応援しています。
  • posted by LUCKY YOU
  • URL
  • 2013.05/27 11:06分
  • [Edit]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • posted by
  • 2013.05/27 08:23分
  • [Edit]

ありがとうございます♪

冬目漱石さん、コメント感謝です。

漱石さんも、素敵な活動がんばってくださいねv-353
  • posted by LUCKY YOU
  • URL
  • 2009.01/29 18:22分
  • [Edit]

人生の意味。

v-4 v-1

はじめまして。

人間が生きて行く途上で、様々な試練や悩みがあります。
最近、「生きる意味が分からない。死にたい」という人が急増しているように感じます。


明日に希望が持てない不安な時代でもあるからでしょう。

しかし、こんな言葉を最近聞いたことがあります。
「あなたが”死にたい”と思って無駄に過ごした今日は、昨日死んで行った人が懸命に”生きたい”と思って努力した明日なのです。」

人は一体、何のために生きているのでしょうか。
人はどこから来て
何のために、勉強し、働き、生きて
どこへ向かっているのでしょうか。
なぜ、人は孤独なのでしょうか。
愛とは何か、生きる意味、死とは何かなどのことについて、ブログで分かりやすく聖書から福音を書き綴って来ました。
ひまなときにご訪問下さい。
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(聖書)                   

「生きる目的は一体何か」
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/m/200705

「人生の目的と意味は何か」:
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/d/20060519   
  • posted by 冬目漱石
  • URL
  • 2009.01/25 23:22分
  • [Edit]

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プロフィール

LUCKY YOU

Author:LUCKY YOU
ブルース・モーエン公認トレーナー
HP http://shigotansaku.com
著書『リトリーバル 過去世の救出』(ハート出版)

“何があってもポジティブにプラス思考に考える”をモットーに日々を過ごしています。
その甲斐あって、毎日小さな幸せを感じています。
その原動力は、スピリチュアルな世界に出逢ったことです。
全ての人、そして全ての存在が繋がっていることを知りました。
そこには『無条件の愛』が満たされていて、至福への入口があります。
そんな風に、わたしはトレーナーになり、本を出版することができました。

身に降りかかる不運と思える出来事こそ、本当は魂を磨くチャンスなのです。思いがけない真実を知るだけで、あなたもきっと人生が変わります。
幸せへのキーワードを一緒に見つけましょう。

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